現地に住みながら現実を伝えるロンドン発 ノマド型雑誌 – Boat Magazine

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ネット社会として発展めざましい現世であるが、その中で「実感」できる世界の拡張性というものは実際にどれ程発展しているのだろうか。世間一般として使われているインターネットがもたらしてくれた「世界の広がり」又は「世界が身近に」という言葉は、個人レベルにおいてどれ程現実感のある言葉なのだろうか。もちろん、情報収集や処理・消化、情報を元にした考察や新しいアイディアの創出等は言うまでもなく極めて重要であり、私達Future Ownership Japanも日本ではあまり伝えられていない世界のインディペンデントな情報をお届けし、少しでもインスピレーション源としての役割を果たしたいと願っている。これはネットが付与してくれた機能の一つである事。

しかし、だからこそ誰も伝えていない現実は「現実」としては人々に認識されない事を日々認識する必要がある。情報伝達に公平性・包括性という概念は存在し得ない。立場があり、優先順位があり、主張がある。
例えば、世界中で話題になっている経済・政治情報が日本の主要メディアにすら取り上げられていない事は多々ある。単純に考えても15億人が利用する英語の情報を1.2億人の日本人が自国で処理するには高度な自動情報処理技術でもなければ難しいため、当然と言えば当然である。もちろん、それだけではなく先程の立場、優先順位、主張したい内容、問題意識の程度等が他国と大きく違うのではないかと推察する。いずれにしても、これらによって、世界において現実として語られている事が日本では現実として扱われていない状況が生まれる。

ネット社会でもこのような事が日々起きているのではないだろうか?つまり、ネット社会によって「知っている」つもりの情報は増えている一方、実際に五感を通じて感じとった情報や現実というものは実は半世紀前とそんなに変わっていないかもしれない。むしろ、仕事が忙しい現代人の方が旅をする時間や物事ときちんと対峙する時間が奪われてしまい、結果的に「現実」として感じた経験は少ないかもしれない。GoogleやYahooで検索できる事は無数にあるが、検索できない事も無数にある。

現代に生きる私達は、その意味ではオンライン社会であるからこそオフラインにおけるリアルな五感を通して自分達にとって手「触り感のある現実」を構築していかなければならない。これは情報社会として世界が発展する前も今も本質的には変わらない事ではないだろうか。

元来、日本は一見この情報処理における不利な状況を類い稀な情報吸引力、適応力、研究力をもってして、プラスの方向へと転じてきた。伝家の宝刀である勤勉さを腰にさし、「脱藩」という技をもってしてこの国は陸の孤島から世界の情報を自国文化と融合させてきた。(これを「信念の無さ」と見るか、過去を捨て未来のために変化を遂げる「変革者」と見るかはまた機会を改めたい。)そして、自らの五感を通じて得た情報を自身の中で消化させ、自身の価値観を結合させる事で更なる未来の広がりを確かに内なる「実感」として獲得していたのではないだろうか。例えば福沢諭吉にしても、そんな自身の確かな価値観に裏打ちされたからこそ、当時はクレイジーの一言で一蹴されてもおかしくないような言霊を発し、アイディアを形にしてきた。

もちろん、当時と違う状況も多々ある。その一つがネット社会である現世において、現代人はより多くの情報の中から高度なバランス感覚が求められる、という事ではないだろうか。福沢諭吉の時代に比べると、情報そのものが価値を帯びていた。現実としても、単なる情報レベルとしても、情報享受レベルには格差があり、情報を手のひらに置く人々の方が有利な状況であった。しかし、21世紀は違う。

日々多様な価値観の渦にさらされる中で揺さぶられながらも、自身の判断基準を築きあげ、一つの専門分野や文脈では無く、多方向に散らばる分野や文脈を一つに結集させ、あるいは結集している情報を拡散させるといった部分最適では無く、全体最適の視野が求められる。情報そのものは皆がアクセスできても、そこから紡ぎ出せる新たな文脈や見いだせる未開拓の可能性を探るような視点である。これらを獲得する第一歩がやはり、「自分の中の現実」をきちんと構築する事ではないだろうか。

前置きが長くなってしまったが、そんな事を感じさせてくれるロンドンのデザイン事務所であるBoat Studioが手掛ける雑誌プロジェクト、”Boat Magazine”の存在を簡単にご紹介したい。
この雑誌を紹介する理由は一つ、その現実を見る事への信念の硬さである。正直に言ってしまうと、例えばデザインが飛び抜けて異彩を放つ訳ではないが、この雑誌を作るためのプロセス、そして想いというものが何にも勝る力を秘めているのである。

Boat Magazine

季刊誌であるBoat Magazineは年に2回発行するのだが、現在はまだ2号と産声を上げたばかり。電子書籍が急成長し、紙雑誌の発行部数は右肩下がり、これらに加えて世界経済の低迷という環境下に、「紙雑誌が好き」というこれ以上無い理由により雑誌作りを決断したこの雑誌の一番特徴的な事は、1号につき1箇所(地理的な意味)、しかも日頃メディア等ではあまり取り上げられる事の無い地域に実際に1ヶ月住み込みながら取材を行う、という制作スタイルである。まさに地域密着とはこの事であるが、そもそもロンドンの事務所を設けてから8ヶ月程でこの決断を下したという。当然、周囲はその決断に混乱の色を隠せない様子だったようだが、これらを押しのけてまで作るこの雑誌の目的は、「過去の出来事や事件等がいつまでもその地域の代名詞となっているような、”世界から忘れられた場所”の現実を伝える事。」

全てはこの世に少しでも正義を証明する事。実際に、私達もネット社会にいながらも実際にあまり多くを知らない忘れられた地域は地域は枚挙にいとまがない。東日本大震災で不名誉にも焦点があたったチェルノブイリもその可能性がある。人々はチェルノブイリと聞くとまず第一に原子力発電所事故を思い浮かべる人が多いかもしれないが、そこの人々がどのような生活を営み、価値観を保有しているか、そして事件後の数年間はどのような日々だったのか、という事を理解している人はどれほどいるのだろうか。

Boat Magazineはジャーナリズムの怠慢へ異議を唱えるために、自ら行動する事を決意した。創刊号として選んだ地域はサラエボ。Boat Magazine曰く「1996年にサラエボ紛争が終焉して以来、メディアは去り、二度と戻っていない。」そんなサラエボだからこそ、今の人々が何を考え、感じながら生きているのかを伝えたかったという。現在、議員を務めているNo Mans Landでオスカー賞を受賞したDanis Tanovicとの対話内容も掲載されているが、彼の「今何かを変えなければまた戦争が起こる」という言葉が持つ「現実性」が放つメッセージは熟考せざるを得ない。

Boat Magazine第二弾はデトロイトである。個人的にここで生まれる素晴らしい音楽の数々に多大なるインスピレーションとエネルギーを貰っている自分としては非常に興味深い号であるが、デトロイトもかつては車産業により発展した地域であったが、日本勢の隆盛により衰退を余儀なくされたデトロイトでは人口の約25%が街を離れ、6万世帯もが空家となっている。これらの場所が犯罪の温床と化した結果、周囲の地価や資産価値が下がり、近隣の学校に通う人口減を招いているため、今後も更なる人口が流出する恐れがある。

もちろんこれらはデトロイトが抱える大きな問題の一つであるが、一方でメディアにおいてはこれらの情報ばかりが優先報道されているため、他の側面に光が当てられていない。もちろん、現状を伝えるという意味では欠かせない報道であるし、このような「不足の環境」によって育まれる反骨精神や創造性によって様々な良質な物事も生まれている。しかし、一側面のみが強調され、世界のおいて画一的なイメージが拡散する事により、人々がデトロイトに近寄らなくなってしまう。 そんな状況を一変しようとしたBoat Magazineはこう言っている。

「1931年にニューヨークタイムズ紙が創刊80周年を記念するため、時代の変革者に次の80年(1931-2011)はどんな時代となるかというテーマに基づいて記事の執筆を依頼した。その中で、Henry Fordは選ばれた一人だったのだが、彼が書いた記事のタイトルは「明るい未来は現実を殺風景にする」であった。雑誌作りのためにデトロイトでの滞在を終えた今、その言葉に強く同感している。」

ちなみに次回は母国ロンドンが特集されるようだ。異文化を見てきた編集陣が改めて母国ロンドンをどのように紐解くのか。

Boat Magazine

(Pictures via Boat Magazine)

Boat Magazine
http://www.boat-mag.com/

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